2016-04-28 第190回国会 参議院 法務委員会 第11号
ですから、今回、別件逮捕で、しかもこの今市の事件は、問題は、検察自身が容疑認めてからは全て録音、録画されている、容疑認めてから。認めたところがなくては私はいけないと思っています。そして、判決では、恫喝とか暴行などなかったと認められる。そうですよ、だって自白した後しかないんだから。もう自白すれば、別に暴行とか恫喝する必要ないんじゃないかなという私は気がします。 それからもう一つ大事なこと。
ですから、今回、別件逮捕で、しかもこの今市の事件は、問題は、検察自身が容疑認めてからは全て録音、録画されている、容疑認めてから。認めたところがなくては私はいけないと思っています。そして、判決では、恫喝とか暴行などなかったと認められる。そうですよ、だって自白した後しかないんだから。もう自白すれば、別に暴行とか恫喝する必要ないんじゃないかなという私は気がします。 それからもう一つ大事なこと。
検察の訴訟活動というのは、単に被告人の有罪を求めることでもなければ、検察自身のメンツを守るためでもなく、あくまでも治安の維持のための真実の究明を目指した公正なものということだと思っております。
であるけれども、この尊属殺規定というのは、違憲判断後、検察自身がその条項においては起訴しないという運用がされたことによって、実際にはその法律というのは言わば死文化していたわけですね。 そのほかの違憲判断決定に対しては、基本的にその判断のすぐ近くの国会、直近の国会に政府から改正案が提出をされて、それが成立をするというふうになっております。
この犯罪者の社会復帰とか再犯防止というのは、どちらかというと矯正、保護、それから厚労などとの連携ということが専ら言われてきましたけれども、実は検察自身の課題でもあると。 今年二月の検察長官会同で、小津検事総長も犯罪者の社会復帰や再犯防止に目を向けた検察運営ということを強調をされております。具体的にはどういう基本的な考え方と取組が必要とされているとお考えでしょうか。 まず、大臣からお願いします。
○稲田政府参考人 ただいま御指摘がありましたような各種の事件において検察に対して厳しい批判があるということは、検察自身が最もよく理解しているものというふうに思っておりますし、それを踏まえながら検察の改革を進めていっているというふうに考えているところでございます。
このようなことから、検察自身にすべてをゆだねて大丈夫だというふうには思えないのです。 検察というとりでには、もう少し外の目、外の風が入る小窓が必要だと思います。今の最高検の中に、本気で変わらなければいけないと思っている方がいらっしゃるということは存じ上げていますが、そういう何人かの個人的な思いに頼るだけでなく、制度として、外の目、外の風が入る仕組みが必要です。
つまり、検察の言ってみれば違法捜査によって検察自身の信用が失墜したという事件であります。 我々は、この事件に鑑みて、検察の信用を再び立て直すためには、やはり検察のトップである総長が国会の場でその考え、あるいは検察再建の方向性を明確に語らなければいけないと思うんですが、副大臣、お考えをお尋ねします。
やはり検察の改革は検察自身がやる気になっていかなきゃいけないので、私は検察にこういう方向でひとつ自ら苦しみながらこの案をまとめてくれと、こういうことを言っているわけで、若手の検察官などもみんな参加をしながら議論をしていただくということを期待をしております。
○松岡徹君 だから、だから、DNAは当然のように専門家で、皆さんのところには科警研というのがありますから、そういう専門のところでやりますけれども、その結果菅家さんは無実だということを分かって、起訴してきた検察自身が菅家さんは無実だということで刑の執行を停止して釈放したんでしょう。しかも、昨日、検察の次長ですか、まで謝罪しているんですよ。
しかし同時に、刑事局長が来ておられますが、検察自身にとっても裁判上、ここに書いてあるように非常にマイナスで、刑事訴訟法三百二十一条のいわゆる検察官面前調書、その信頼性を実際上非常に揺るがせることになるという影響を非常に大きく与えると思うのですね。ですから、こういう問題についてまず検察当局はどう考えておられるか、刑事局長から伺いたいと思います。
また、厳に戒めなければならないことは、考えてみれば検察自身一つの権力でありますから、その権力を恣意的に行使して、いわゆる検察ファッショとみなされるような状況を現出させないということであると思います。この点我が国の検察は、さまざまな毀誉褒貶にもかかわらず、現在のところ私が今申し上げたような姿勢で実にきちんと職員を果たされていると思いますし、私は検察に対し強い信頼を寄せている者の一人であります。
「いま検察に求められているのは、小手先の改善ではなく、検察自身の体質と運営のあり方に思い切ったメスを加え、内外の強い不信を取り除くことではないのか。」これはもう法曹関係者じゃない全く普通の農家の方から、こういう投書が出ているわけです。 まさに、ここにこそ今日本の現代の若い青年が検察に魅力を感じなくなった最大要因があるのではないかと。
検察自身も、ただいま刑事局長が申しましたように、専ら証拠に基づいて刑事責任を追及することになりますので、結局は仰せのようなことと一致することになると思いますが、そのように御了解願いたいと思います。
それに対する信頼というものがありませんと、犯罪の捜査にしても何にしても、それはかけ声ほどうまくいかぬと思うので、これは転ばぬ先のつえということにもなりますけれども、先ほど法務大臣もおっしゃっておるとおりでありまして、この冒頭の大臣の基本姿勢というものを末端までよく徹底させて、検察自身も頑張っていただきたい。
検察自身の姿勢を変え、そして若い検察官がやりがいのあるような、上から変なふうに押えをしないような、そういったやはり気風をつくる必要がある。そうすれば検事もふえるのじゃないか、こういう感じもするのですが、これもいろいろむずかしいでしょう。しかし、そういう点について、今度の法務大臣の案、これらについてその後のいろんな動き等を考慮していかがにお考えになっておるか、その点をお伺いしたい。
これを考えますと、政治的圧力があったとかどうかという問題は、先ほどから論じられておりますけれども、そういうことではなくて、案外検察自身が何か政治的な配慮を自分でしてしまったのではないか、こういうふうに私は考えるのですが、この点どうでしょうか。
検察自身がそれをはっきり証明していうっしゃる。そうしますと、殺意があったかどうかは、これは私も断定できません。現地へ行って調べましたが、殺意があったかどうかは断定できませんけれども、あの射ったいわゆるあの装置によってのから薬莢の発射は、明らかに殺人し得るという実力を持っておるということでありますならば、今の刑事局長の御答弁では納得参りませんが、この点をもう少しはっきりと、ほかの理由なら……。
○国務大臣(緒方竹虎君) 今回の汚職事件というようなものに対しまして、積極的にむしろ検察を督励してという御意見でありまするが、政府としましては検察に対しましては、検察自身検察の威信を保ち得るように独立して活動することを妨げないようにすることが、私は検察当局の職責を遂行するのを、政府として督励する限度であろうかと考えております。